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人生とは、自分でいくつもの扉をひらき、こつこつとつくりあげていくもの。イタリアと鳥取に住まうアラ還国際婚夫婦が、幸せになるヒントを追求&発信するblogです

イタリアのニッチな歩き方:STREET ARTS(1)

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【イタリアのニッチな歩き方:STREET ARTS】

(1)はじめに:落書きの見方

 イタリアを初めて訪れたとき、WOW!とまず驚いたのがSTREETの壁という壁に描かれた落書きです。日本のテレビで紹介されたイタリアは、古い建物の美しさ、街の至る所でみられる彫刻、街を行き交う人々までファッショナブルで、街すべてが芸術として魅せられています。その憧れに、見事に「あれ?ありぁ~。残念!」と疑問符を打ってくれたのが落書きでした。と同時に、どうやってあの美しい映像をとったのか、番組撮影時の苦労も容易に想像できました。
 さて、何度となくイタリアに行くうちに、観光者でなくなってくると、イタリア人観察、生活目線で落書きを眺められるようになりました。落書きに馴れてきたせいもあるかもしれませんが・・・。イタリアの住まい方は、数百年前の石造りの建物を修理・リフォームを重ねて、オシャレに暮らす、そんな風に見えます。面白いことに、建物の外観にはあまりお金をかけないのに、ドアを一歩入ると、なんと美しく住まわれていることか!ぼろぼろの外観からは想像もつかないオシャレな空間にでくわすことはしばしば。そして、なんと清潔に保たれていることか。Fabによれば、「イタリア女性の99%はきれい好き」(本当か?)だと言います。(「女性」というところが、「男というもの、女というもの」というジェンダーが根強く残るイタリアの慣習を表しているのですが、この話はまたいつか・・)外観をつつかないのは、泥棒よけということもあるのだと思います。
 以上から何が言いたいのかというと、「ウチ」と「ソト」を明確に分けているということです。「ウチ」=私的な信頼に足る大切な空間・モノ・人。「ソト」=公共的モノと空間、見知らぬ信じられない人というわけです。それで、イタリア人は「ウチ」のものは非常に大切にしますが、「ソト」のものに対するケア意識はとても低いように感じます。日本は「ウチもソトも大切に」という教育を家庭でも学校でもしますから、そこでカルチャーショックをうけるわけです。だけども、命の危険が冗談でなくあるイタリア社会においては、「ソト」へのケアを教えることは容易ではないのだと思います。それよりもまず、自分や家族をなんとしてでも危険から守ることを日常的に教えることが必要な社会ということなのでしょう。そうなると、どうしても公共意識は薄れてきますから、それにイタリア人の豊かな創造性と自己表現力が加わって、この「街の壁いっぱいの落書き」になったと解釈してみると、単なる「ありぁ~、残念!」ではなくなり、興味あるSTREET ARTSとして見られるようになってきました。理解を深めると見方も変わるものです。