ひらく*つくる*暮らす

人生とは、自分でいくつもの扉をひらき、こつこつとつくりあげていくもの。イタリアと鳥取に住まうアラ還国際婚夫婦が、幸せになるヒントを追求&発信するblogです

【絵本をつくる】作品のクオリティを問う

(3)自分の熱い想いに酔わず、作品のクオリティを自問自答する
 作品ができると嬉しくて、そして「なかなかの出来じゃない?」・・・と自分で悦に入るのが人間の心情というもの。かく言う私も同類です。それでコンテストに応募したら入賞するかも・・・とか、出版できるかも・・・売れるかも・・・そうすると将来は絵本作家かぁ・・・と、夢が広がっていきますよね。それも健康な人間の心情でしょう。でも、絵本で食べていける人はごくごく稀であって、現在も半世紀の前の息の長い良本が売れることを思えば、その確率は何万いや何百・何千万分の一なのではないでしょうか(文芸社のコンテストでさえ2500分の1ですから)。とすると、その夢は幻想にすぎないというのが現実なのでしょう。
 そして、文芸社のお仕事は、コンテストの選考漏れの中から、出版可能域内の「ある程度のクオリティが認められた作品」に関して、全国流通させる自費出版を勧めることにあります。そして、私の作品もその圏域内にあるようで、出版説明会後の個別相談会では、「来年夏に、30作品を書店流通させる企画(しかも有名図書と一緒に《一般の絵本コーナー》に配架される)があるそうで、是非、出版を検討して下さい」というのです。ただ、自費出版はとても高額ですから(この話の詳細は後日)、そうそう安易には喜べません。しかも、「絵本を商業出版できる機会はもう恐らくないですよ」とのこと。“絵本の世界は大変な激戦区であり、無名であればこれもめったにない好機なのですよ”と言う意味なのでしょう。・・・ということで、自分の作品はある程度のクオリティは認められたのだと、それは喜んでいます。
 でも、本当にそうなのだろうか?という疑念が自分にはあります。なぜなら、何人かの人にできあがった作品を読んでもらいましたが、明らかに反応薄という実感を持っているからです。恐らく、それが作品が世に出たときの実際の評価なのだと思っています。これまでの仕事柄、自分の仕事のクオリティは常に審査され、一定レベルになければ受け付けられない世界でしたから、評価には馴れていますし、客観的に自己評価する姿勢も持ち合わせています。今、思うことは、純粋に作品のクオリティのみ(出版でお金の計算が入らない)を知り、作品に磨きをかける手立てや機会がないものか、それを模索しているところです。同人誌のメンバーになることもその一つでしょうし、どうやら多々あるコンテストそのものにも異なる目的があり、審査基準が違いそうだ・・ということが次第に分かってきたところです。