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人生とは、自分でいくつもの扉をひらき、こつこつとつくりあげていくもの。イタリアと鳥取に住まうアラ還国際婚夫婦が、幸せになるヒントを追求&発信するblogです

【絵本をつくる】文芸社「えほん大賞」選考もれのその後

(4)文芸社「えほん大賞」&選考もれのその後
 ・・・と、これまでの思いを書いてきましたが、文芸社が実施する「えほん大賞」コンテストと、その後の経過について記録しておきます。
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4月20日:コンテスト締め切り
6月末:結果(郵送にて通知あり)
9月初:①出版企画部より全国流通出版(自費)の提案あり(封書にて)
   ②同時に電話がかかる
         ③作品の詳細な講評と見積もり(封書にて)
         ④出版の意思確認(電話にて) 
11月:出版説明会に参加 
   ⑤2020年夏の新しい絵本出版企画の説明と詳細な見積書
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 ネット上で、出版費用が高額、編集者からは素晴らしい作品と言われて出版したのに本が売れない(とても出版費用は回収できない)・・・コンテスト商法だ等、不満をもつ人々のサイトを見つけました。

 それを読んでいると、まず、「素晴らしい作品との講評」は、まさにその通りでした。こちらの心をくすぐる講評で、涙が出そうなほど心揺さぶられます。95%がべた褒めで、5%が気になる点の指摘といった感じです(説明会の自費出版された方の経験談も、まさに同じでした。「自分のファンになって下さった」という言葉から、その雰囲気がわかるかと思います)。

 恐らく、自分の作品を冷静に評価する姿勢がなければ、「出版したらとても《売れる》素晴らしい本」と自分で思ってしまうことでしょう。ただ、出版者の方は《良い作品》とは言われますが、決して《売れる》とは言われないはずです。なぜなら、そんなことは誰にもわからないからです。それを自分の都合のよいように誤って解釈しているものだから「騙された」と思ってしまう構図が見えてきます。
 ですので、自分の作品を自身が厳しい目で評価する姿勢は欠かせません。とはいえ、私達はどうしても感情に揺さぶられますから、信頼のおける(真のクオリティを損得なく率直に指摘してくれる)他者評価を得る方法を確保しておくことは大事ですよね。

【絵本をつくる】作品のクオリティを問う

(3)自分の熱い想いに酔わず、作品のクオリティを自問自答する
 作品ができると嬉しくて、そして「なかなかの出来じゃない?」・・・と自分で悦に入るのが人間の心情というもの。かく言う私も同類です。それでコンテストに応募したら入賞するかも・・・とか、出版できるかも・・・売れるかも・・・そうすると将来は絵本作家かぁ・・・と、夢が広がっていきますよね。それも健康な人間の心情でしょう。でも、絵本で食べていける人はごくごく稀であって、現在も半世紀の前の息の長い良本が売れることを思えば、その確率は何万いや何百・何千万分の一なのではないでしょうか(文芸社のコンテストでさえ2500分の1ですから)。とすると、その夢は幻想にすぎないというのが現実なのでしょう。
 そして、文芸社のお仕事は、コンテストの選考漏れの中から、出版可能域内の「ある程度のクオリティが認められた作品」に関して、全国流通させる自費出版を勧めることにあります。そして、私の作品もその圏域内にあるようで、出版説明会後の個別相談会では、「来年夏に、30作品を書店流通させる企画(しかも有名図書と一緒に《一般の絵本コーナー》に配架される)があるそうで、是非、出版を検討して下さい」というのです。ただ、自費出版はとても高額ですから(この話の詳細は後日)、そうそう安易には喜べません。しかも、「絵本を商業出版できる機会はもう恐らくないですよ」とのこと。“絵本の世界は大変な激戦区であり、無名であればこれもめったにない好機なのですよ”と言う意味なのでしょう。・・・ということで、自分の作品はある程度のクオリティは認められたのだと、それは喜んでいます。
 でも、本当にそうなのだろうか?という疑念が自分にはあります。なぜなら、何人かの人にできあがった作品を読んでもらいましたが、明らかに反応薄という実感を持っているからです。恐らく、それが作品が世に出たときの実際の評価なのだと思っています。これまでの仕事柄、自分の仕事のクオリティは常に審査され、一定レベルになければ受け付けられない世界でしたから、評価には馴れていますし、客観的に自己評価する姿勢も持ち合わせています。今、思うことは、純粋に作品のクオリティのみ(出版でお金の計算が入らない)を知り、作品に磨きをかける手立てや機会がないものか、それを模索しているところです。同人誌のメンバーになることもその一つでしょうし、どうやら多々あるコンテストそのものにも異なる目的があり、審査基準が違いそうだ・・ということが次第に分かってきたところです。

【絵本をつくる】なぜ出版したいのか?

(2)なぜ、絵本を出版したいのか?―自問自答してみる
 さて、《絵本をつくりたい》(絵本に思いを込めて表現したい何かがある)というふつふつとした思いはあるとして、《絵本を世に出したい!出版したい!》と思うのはなぜでしょうか?
 ・・・ということを、出版説明会に参加して改めて考えました。というのも、講義の中でそれを尋ねられたからです。「《自分の思い》を多くの人に知って欲しい、読んで欲しい」と願う人(自己表現の意思=自己実現の手段)、「生きる上での大切なことを伝えたい、託したい」と後世への小さな遺産として残したいと願う人(メッセージ意思)・・・様々でした。では、私は?と問われると、どちらかといえば後者の方ですが、より多くの人に読んで欲しいのか?と自問自答すると、そこまでは強く望んでいないことに気づきました。自分の子育てで思ったこと、感じたこと、こんな風に生きられたらいいなぁ、人はこんな風に思い悩みながら生きているんだよ、そして私もそうして生きてきた・・・そんな人生から得たことを《身近な大切な人に残す》ことができたら・・・、それが少しでも生きる上でのヒントになれば・・そんな遺言のような意味で書いているかもしれないと、気づかされました。それは、これまでの仕事の中で既に絵本を出版した経験や、専門書の執筆経験もあったりするので、出版を通して自己実現することへの憧れは昇華されているからなのでしょう。ですので、1冊の絵本を出版するというよりも、もし自費出版するとすれば、書きためた絵本や童話(そこに自分の魂を移して)で、最期に童話集が作れたらいいなぁ・・・と思っている自分がいることがわかりました。

 

【絵本をつくる】

 《絵本をつくりたい、絵本を出版したい、絵本作家になりたい》という人は世の中にごまんといるようで、私もその一人です。作品のアイディアを温めたり、執筆しながら、どのようにすれば実現できるのか、きっと皆さん模索されていることと思います。ここでは、私自身の経験、入手した情報を共有したいと思います。
(1)コンテストに応募する:文芸社「えほん大賞」①
 文芸社は、商業出版、自費出版を手がける「総合出版社」です。そして、プロ作家のみならず、アマチュア作家・研究家の発掘にも力を入れている(出版説明会の資料より)会社です。絵本作家をめざしている人なら、文芸社が行っているコンテスト「えほん大賞」(4月、10月の年2回募集)のことがきっと気になっていることでしょう。私も、今年の4月と10月とも応募しました。
 文芸社が地方に出向いて行っている「執筆と出版の説明会」に参加してきましたが、以下の情報が得られました。
応募者:4月実施のコンテストでは、約2500作品が届いたそうで、応募数は増加しているとのことですから、受賞がいかに難しいかわかります。しかも、説明会に参加した方の多くは絵本を出版したい人たちでしたので、同じ夢を持つ人がどれほど多いのか、それも明白です。門戸は広く開かれているが、通行手形を入手するのは極めて難しいという感じでしょうか。

選考基準受賞のハードルは、純粋に「絵本の質」だと考えていましたが、どうやらそれ以外の要素も作用するとの話でした。出版する以上は話題性(出版経験や、社会的な肩書き、話題になりそうな特異性・経験、ネームバリュー、生活環境など)も勘案されるとのことです。つまり、選考は出版を念頭において行われますので、話題になって売れることも勘案せざるを得ないということです。「連続投稿しても受賞は難しい」(努力賞はない、無名である=売れない=商業出版は無理ということを自己認知べきということでしょう)との説明もありました。そして、このようなコンテストについては、どの出版社のコンテストにおいても同様だとおっしゃいました。
 でも、絵本を世に出したいとすればどうするか・・・。「自費出版」ということになりますよね。づづく・・。

【つくる】「銘仙」でつくる

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12.銘仙のワンピース+ストール

 銘仙の着物と端布で、ノースリーブのワンピースとストールを作りました。着物は、かなり着込まれた古いもので、変色や破れを考慮すると、袖のあるものは作れそうにありませんでした。また、残布でストールを作るにしても長さが足りません。ん~と悩んだあげく、手持ちの銘仙の端布で不足分を補うことにしました。銘仙らしい粋で華やかな柄がデザイン意欲をそそります。ついには、ポケットをつけてオリジナルなストールになりました。ワンピースと合わせて、巻き方に工夫を加えることで、いろいろな楽しみ方ができそうです。

『日本人の背中』(井形慶子)集英社文庫

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(4)男性天国にみえて、じつはかかあ天下

 日本では、女性の労働力率は、いわゆるM字カーブを描く(結婚・出産期に当たる年代に一旦低下し,育児が落ち着いた時期に再び上昇する)ことが知られています。ただ、近年では、M字の谷の部分が浅くなってきているとはいうものの、専業主婦志願の女性や子育てに専念したい女性は他国に比べるととても多いのです。イタリアの女性は就業するのが当たり前で、Fabが日本に来たとき、「なぜ日本女性は働かないのか?」と疑問に思ったようで、そこからFabの《ひとウォッチング》が始まりました。主に、ランチ時のレストランやカフェでの観察です。
 そこでのFabの気づきは、まず、「週末でも、ママと子どもだけでランチに来ているのはなぜか?」ということです。イタリアでは、週末でなくてもまず一人ではでかけませんから、週末に家族で過ごさないこと自体にとても違和感があったようです。「おそらく、ご主人が土・日に仕事がある、あるいは、疲れていて休養したいのかもね」と話すと、サービスの行き届いた便利な日本の裏側にある、働くことの大変さに納得すると同時に、「ご主人を労ってるんだね」と、本やマンガで知った理想的な女性像《大和撫子》をイメージしたようです。
 Fabの観察は続きます。Fabには行きつけのランチレストランが何件かあります。明らかに、女性中心でゆったりと時間を過ごすお洒落なレストランと、12時過ぎるとどやどやと男性たちがやってきて、20分程度で食べて出て行く安くてボリュームのある、いわゆる飯屋。どうみても、女性達がランチに費やす時間もお金もハイレベル。となると気になるのが家計です。そこで次なる質問が、「専業主婦といえども、それを労働として(家政婦を雇ったとすると)換算すると結構な額になるから、そうやってランチを楽しむのはいいことだ。妻は、ご主人からお小遣いをもらっているのか?」「ん~。そういう家庭もあるだろうけど、多くの家庭では、奥さんが家計を管理して、旦那さんは、奥さんからお小遣い(3~4万円くらい)をもらっているんじゃないかな」というと、「自分で働いて稼いだのに、自分の自由にできない?!それで不満はないのか?」と聞くので、「将来の見通しをたてて貯蓄をしたりしないと生活が成り立たないとわかっているからね。奥さんの言う通りにしてるんじゃない?」と答えると、Fabの三つ指突いて従順な《大和撫子》像はぐらぐらとし始めました。
 最後に、「結婚式では、女性が打ち掛けをして頭にしろい帽子みたいなものをつけるけど、あれって《角隠し》っていうんだよ」というと、Fabは「なーるほど!」と、にこっとわらって納得しました。これで完全に《大和撫子》は過去の理想的女性像であることがわかったのでした。

 そうそう、「日本では奥さんが子育てをしっかりして教育が行き届いているから、こんなにも穏やかで安全安心な国なんだね!」と、Fabは考えているようです。

『日本人の背中』(井形慶子)集英社文庫

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(3)日本食は究極のヘルシーフード

 Fabに言わせれば、今、イタリアは日本ブームなのだそうです。特に、「ヘルシーな日本食」がブームになっているとか。Fabは、日本に滞在すると、大体数ヶ月で体重が3kgほど落ちます。逆に、イタリアに帰国して数週間滞在するだけで数kg増える・・・それを繰り返しています。Fabの知り合いには、「どうやってダイエットしたんだ?」と聞かれ「日本食を食べていれば自然に痩せるんだよ。」というと、「やっぱり日本食ってヘルシーで、ダイエットにはもってこいなんだなぁ。」と感心されるようです。一方、マンマには「痩せちゃって、ちゃんと食べているの?」と心配されます。
 確かに、トリノの街を歩いていても、日本食レストランが結構あります。日本食とはいえ、彼らの言う日本食は寿司。さらに言うなら、ラーメンと続くのですが、とても《ヘルシーな日本食》とはほど遠い認識&実状です。しかも、イタリアではパスタでも2000円くらいはしますから、それに比べると寿司レストランは安い価格設定の店が多いのです。それは、海外の日本食レストランの多くは中国人の経営によることが多いからで、日本人の経営する和食レストランの多くは高級店です。また、外国人の好む寿司は、日本で食べる寿司とはちょっと変わっていて、その国で好まれるようアレンジが施されています。そして、一貫がちょっと小さい・・・。とはいえ、外国にいて寿司が食べられるのは本当に嬉しい限りです。トリノの街にも、安くて美味しい中国人経営の行きつけの寿司レストランがあり、週1回くらいのペースで出かけています。
 そして、日本食と聞いて思い浮かぶのが「豆腐」なのですが、私の身近なイタリア人は、あまり豆腐が好きではありません。「柔らかい」+「味がない」というのがその理由のようで、外国人が日本食好き=豆腐を好むと考えるのは、少々間違いのようです。ただ、「しょうゆ」は大好きなので、「しょうゆをたっぷるかけて豆腐を食べる」ことは好みます。ちなみに、外国で見かけるしょうゆといえば「キッコーマン」のみ。今は、《キッコーマンはしょうゆの代名詞》になっているようです