ひらく*つくる*暮らす

人生とは、自分でいくつもの扉をひらき、こつこつとつくりあげていくもの。イタリアと鳥取に住まうアラ還国際婚夫婦が、幸せになるヒントを追求&発信するblogです

『人生はニャンとかなる!』(水野敬也、長沼直樹著)

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〔イタリアのトリノは”魔術の街”って知ってましたか?〕

(2)「無理してでも旅に出よう!」
ベンジャミン・ディズレーリ(イギリスの政治家):「旅は真正な知識の偉大な泉である」
・アーシュラー・K・ルーグウィン(米国のファンタジー作家):「自己探求の旅に目的があることは良いことだ。しかし、結局、大切なのは旅そのものなのである」
 自分探しをしたいとき、日常から脱し、様々なしがらみを抜けだし、肩書きを脱ぎ捨て、自分を知る人のいない世界に身を置いて、自問自答してみる・・・それに旅はもってこい、無理をして海外にでかけるともっとそれを感じることができるように思います。海外では、自分を頼りに、見知らぬ土地、見知らぬ人々の中で、目的に向かってなんとか行き着かねばならない、大げさに言うなら、自分だけの力で生きて日本に帰らねばならない状況にあるからです。私も何度かそんな挑戦をしてみました。冷静になって客観的に自分を見つめてみたい、いや、そんな格好のよいものではなくて、単に現実がしんどくて逃避したい、元気を取り戻したいといった気持ちから出かけたといった方がよいかもしれません。旅に出かけると何か答えが見つかるような気がして・・・。
 しかし、何か「明確な解が得られた!」という経験は残念ながらありません。そうではありますが、《行く前の自分》と《帰ってきた時の自分》は、明らかに違うのも確かです。「大切なのは旅そのもの」とありますが、旅の途中=非日常の世界でさまざまな経験をします。さまざまな人々の暮らしぶりや生き様に出会います。それが自分の生(価値感、意識、判断・・といった生き方)を問うてくるではないかと思います。
 例えば、ベネツィアに出かけた時の経験です。雨が降る中、地面に這いつくばって物乞いをするお婆さんに出会いました。小さなカップを片手に掲げて、土下座をしたまま微動だにせず、一日雨に打たれているのです。このままだと死んでしまうのでは・・と思う自分がいます。しかし、多くの人々は、彼女があたかも透明人間のように見て見ぬふりをして足早に通り過ぎていきます。かといって、自分は彼女の生に関われるはずもありません。そんなジレンマの経験でも、母国日本で自分のおかれた状況をこれまでになかった視点から見つめさせてくれました。「大切なのは旅そのもの」というのは、そういうことを指しているのだろうと思います。《無理してでも旅に出よう!明確なものは得られなくても(HOW to的に答えは見つからなくても)、自分を見つめる目が育つのは確かだ!》