ひらく*つくる*暮らす

人生とは、自分でいくつもの扉をひらき、こつこつとつくりあげていくもの。イタリアと鳥取に住まうアラ還国際婚夫婦が、幸せになるヒントを追求&発信するblogです

『103歳になってわかったこと』(篠田桃紅)

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(2)「気楽なものと頼れるもの」

 退職してから、しばしば森を歩くようになりました。そこでは、日常とは違う時間、空気、価値でなりたっているように感じます。そして、その見えない流れや波動が、自分もまた自然の一部であること、そこへ身を委ねることへの安らぎと安堵・・・自然に深い呼吸をする自分がいます。《mori arts》は、そんなところから始まりました。何かをすれば、成果になる、価値がお金に代わる・・・そんな世界から脱出して、自分だけの楽しみで、森のものを使って、森の中に飾り付ける。誰かそれを見つけておもしろがってくれたらいいし、誰にも見つからないでももちろんいい。森と自分だけの遊び・・・それが《mori arts》です。

 しかし、自然はその優しさの反面、私達では到底どうしようもない力を見せつけます。世界中で起こっている大きな災害で、私達は改めてそのことを認識することになります。昔の人は、「行疫神」といって、そのような災いでもって私達を戒める神様を祀ってきました。今は、そんな神様さえ、私達の暮らしの世界から消えてしまっています。自然とともに生きなくなったということなのでしょう。そしてその神様達は「妖怪」へと落ちぶれているのが今の世の中です。 
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 「朝目よし」という言葉があります。昔の人は、朝、起きて、最初に目に映る自然の営みが美しいと感じるものであれば、その日はいい一日で、美しくないと感じるものであれば、よくない一日になると思ったようです。人は、自然の営みなど占いたくなるほど、自信がなく、なにかを頼りにして生きたい生き物です。なんの不安もなく生きている人はいないのです。でも、生きているうちにいろいろな経験を積んで、少しは自信をつけているから、生きていられます。・・(中略)・・
 この世には人が全面的に頼れるものなんて、やはりないですね。個人というものはどんなことがあっても、個人。家族も友人も、他人です。自と他の区別があります。人という生き物の宿命で、一人で生まれて、一人で生きて、一人で死んでいきます。
 なによりも、人は自然の産物です。自然のなかの生き物の一種です。
 人は傲り高ぶる生き物なので、自然とは別物だと思っているかもしれませんが、まぎれもない自然物です。自然を征服してきたつもりになっているかもしれませんが、風を止めることもできない、雨を降らせることもできない、天地自然に対して無力です。むしろ、自然の方が、人間どもに少しかじられたけど、このくらいなら許してあげようぐらいに思っているかもしれません。・・(中略)・・人は動物の一種、うさぎや亀などと同じ一種。自然の産物として生まれただけ、そう思えば気楽なものです。(pp.48-50)
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