ひらく*つくる*暮らす

人生とは、自分でいくつもの扉をひらき、こつこつとつくりあげていくもの。イタリアと鳥取に住まうアラ還国際婚夫婦が、幸せになるヒントを追求&発信するblogです

『103歳になってわかったこと』(篠田桃紅)幻冬舎

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(6)「よき友は、自分のなかで生きている」①物(モノ)

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 志ある友は、友であることが誇らしい気持ちになる。物くれる友は、やはりありがたいけれど。(pp.134-138)
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 日本には、《モノ》で気持ちを表す文化があります。お中元やお歳暮、引っ越しの挨拶、訪問時の手土産などなど、挨拶にモノを添える習慣があります。これを当たり前だと思ってきたのですが、独特の文化であることを知りました。イタリアへ渡航する際、家族一人ひとりに、何をお土産にしようか・・・と考えるのですが、Fabは「なぜ?」と聞きます。しかも、直接会って渡すのが当たり前。「○○によろしくお伝え下さい」と、土産を身近な人に託すなど、とても違和感のあることのようです。
 私自身は、慣習としての贈りものをすることはあっても、それほどモノを贈ったり、頂いたりすることには頓着しないタイプです。海外に出かける時でさえ、お土産の購入はほんの少しで、必ず日持ちがして日常的に使うであろうものにしています(現地のスーパーで売っている食品=パスタ、ハーブ、オイル漬け、ドライトマトなど)。ですので、荷物にもほとんどなりません。以前、団体旅行でご一緒したご婦人の話では、スーツケースの半分は空で、帰国時には土産でそのスペースが埋まるのだとか。確かに、行く先々の割高の土産物屋で《○○土産》とすぐわかるものを沢山購入され、自由時間も買い物に沢山の時間を使われていました。「きっと二度と来ないだろうから・・・」ということだったのですが、だからこそ見ておきたいもの・ことがある。。。というのが私の思いなのですが、あるツアーガイドさんは、女性=買い物といった風に捉えられて、買い物のための街歩き案内をされたときには、とてもがっかりしました。
 旅に出ると、私は沢山の写真を撮っておきたい方なので、カメラアングルが気になって気持ちは散漫なのだと思います。買い物に執着することなく、その場その場を《心のカメラ》におさめながら、歴史や文化、社会情勢などもふまえてじっくりと見聞を広め、深める・・・そんな旅の上級者にはまだまだなれません。でも、そんな方の土産話は本当に面白いです。写真がなくても、自分もその旅に誘ってくれますし、《モノ》にはない無限の広がりがあって、わくわくさせてくれます。