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人生とは、自分でいくつもの扉をひらき、こつこつとつくりあげていくもの。イタリアと鳥取に住まうアラ還国際婚夫婦が、幸せになるヒントを追求&発信するblogです

『103歳になってわかったこと』(篠田桃紅)幻冬舎

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(7)「よき友は、自分のなかで生きている」②志

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 志ある友は、友であることが誇らしい気持ちになる。物くれる友は、やはりありがたいけれど。(pp.134-138)
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 人とのつきあいで、誰にでも、時折思い出してまた会いたくなる人がきっといることと思います。自分のこれまでの人生を振り返ってみても、人生のよき先輩であり、指針を与えて下さった方々とは、遠く離れていても未だに交流があります。というよりも、自分が会いたい、話がしたいものだから、ついつい連絡をとってしまうのです。
 その方々に共通していることは、①自分よりも年上である(20歳くらい先輩の方もおられます)、②何かに向かって揺るぎない信念をもって輝いている、③温かさに裏打ちされた厳しさがある、ということです。これが篠田さんのおっしゃる《志ある人》なのだと感じます。ただ、私の思い浮かぶ大切な方々は、皆、男性なのです。私が男好きというよりも、性差として何か要因があるのだろうと思いたいのですが・・・。
 自分を振り返ってみたとき、本当に大切にしたい人には、多少のトラブルは承知で本音で話をします。関係性がねじれたとしても、よかれと思うことをぶつけるのです。結構これはエネルギーのいることです。しかも、これまでの関係が崩れるかも知れないのですから、それなりの覚悟も必要です。一方で、自分にとっては、現在も将来もさほど関わりがないであろう人には、無用なトラブルを避け、自らも省エネで、空気を読みながら当たり障りのない対応をします。優しいだけの社会というのは、もしかすると希薄な人間関係で成立している社会なのかもしれません。

 こう考えてみると、私に対して本気で関わってくれようとする先輩達だからこそ、私が生きる上でかけがえのない存在なのだと気づきます。
 ただ、近年、自分よりも10歳以上も若い友だち(相手がそう思っているかはわかりませんが)もできました。女性です。大病を抱えながらも、未来を切り拓くべく、泣き言も言わず、前を向いて懸命にがんばっている姿がとても素敵なのです。彼女をみていると、本当に誇らしい気持ちになりますし、「また、会いたい!」と思ってしまう自分がいます。